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比曽寺跡/世尊寺太子堂/木造阿弥陀如来坐像/木造十一面観音立像/現光寺縁起絵巻

[2021年5月11日]

比曽寺跡

比曽寺(比蘇寺)の創建は、多くの謎に包まれていますが、奈良時代(8世紀頃)には、東西に塔を配置する薬師寺式の伽藍を整えていたと考えられます。
比曽寺は、奈良時代に成立した歴史書『日本書紀』の欽明天皇14年(553年)条、「…今吉野寺放光樟像也」の一文にいう「吉野寺」の事だとされ、日本でもっとも古い仏像の伝承を残す寺院です。また、平安時代には「現光寺」とも呼ばれ、吉野地域を代表する仏寺巡礼地のひとつとして知られていました。
大淀町比曽の世尊寺境内には、比曽寺の塔跡の礎石が残されているほか、平成17年(2005年)の調査で、鎌倉時代から南北朝時代にかけての寺院の東端部分や、西大寺とのかかわりを示す瓦などがみつかりました。
比曽寺の東塔跡に建っていたとされる、高さ約25mの鎌倉・南北朝時代の三重塔は、文禄3年(1594年)、豊臣秀吉によって伏見に移された後、慶長6年(1601年)、徳川家康によって滋賀県の三井寺に寄進されました。現在は国の重要文化財(建造物)となっています。
その後比曽寺は、江戸時代半ばの寛延4年(1751年)、禅宗寺院の世尊寺として復興され、現在に至っています。昭和2年(1927年)にはその重要性が認められ、同年4月8日、国指定の史跡となりました。

比曽寺(東塔)跡の写真

比曽寺(東塔)跡

発掘でみつかった粘土敷き(寺院東端部分)の写真

発掘でみつかった粘土敷き
(寺院東端部分)

みつかった軒平瓦の写真

みつかった軒平瓦

世尊寺の写真

世尊寺

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[奈良県指定 有形文化財(建造物)]世尊寺太子堂

太子堂は、世尊寺本堂の南西に東面して建っています。高さは礎石から棟まで約7.8m。方三間(一辺7.9m)で寄棟のお堂(法堂)の後ろに入母屋の張り出し部(角屋)がつく、奈良県内でも珍しい造りの建物です。創建年代はわかりませんが、建物の軒丸瓦には、後醍醐天皇(1288-1339)から賜った寺名「栗天奉寺(りってんほうじ)」の「栗」の字が残されています。
また角屋の鬼瓦には享保7年(1722年)の銘、棟の鯱瓦には寛政8年(1796年)の銘があり、同年の修理札も見つかっています。平成16年3月に縁側の修理が行われ、今日に至っています。
なお、世尊寺では毎年4月29日(かつては4月22日)、聖徳太子の会式(おたいっさん)が行われます。当寺に残る聖徳太子孝養像は、鎌倉~室町時代に制作されたもので、太子堂の創建と聖徳太子の信仰が、江戸時代以前に遡ることを示しています。平成元年3月10日、太子堂は、寛政8年の修理札とともに県指定の文化財となりました。

太子堂の写真

太子堂

木造阿弥陀如来坐像

世尊寺本尊の阿弥陀如来坐像は、ヒノキの寄木造りで、像高129cm。額の白毫は、水晶で後補。飛鳥仏を思わせる表情で、頭部と体部の前面には広葉樹の古材が用いられています。両手は腹前で、阿弥陀の定印(親指と人差し指をあわせる)を結んでいます。

この像は、『日本書紀』の欽明天皇14年条に記す「放光樟像」として、本堂でまつられています。像内には墨書が残されており、元禄13年(1700年)、仏師・家城左近が「放光佛再興」のため修理したと書かれています。

阿弥陀如来坐像の写真

阿弥陀如来坐像

[奈良県指定 有形文化財(彫刻)]木造十一面観音立像

世尊寺にのこる十一面観音立像は、高さ222cmの巨像です。カヤ材による一木造りで、木彫像としては吉野地域でもっとも古い、奈良時代後期の作と考えられています。頭部は後世の補作で、元禄13年(1700年)、仏師・家城左近による修理がなされています。

昭和29年(1954年)におこなわれた像内の納入品の調査では、鎌倉時代から江戸時代までの古文書、経典類が発見され、そのなかには、「和州大御輪寺 比丘高覚」が中心になっておこなった、寛文2年(1662年)の修理記録もありました。平成18年(2006年)3月31日、その価値が認められ、奈良県指定文化財となっています。その後、平成26年(2014年)に本格的な修理がおこなわれ、往年の美仏がよみがえりました。

十一面観音立像の写真

十一面観音立像

[大淀町指定 有形文化財(絵画)]現光寺縁起絵巻

この絵巻は、吉野郡最古の寺院である比蘇寺(現光寺)に伝わったもので、飛鳥時代の創建から、鎌倉時代の再興までの当寺の縁起が記されています。
絵巻は上下2巻からなり、上巻は詞6段・絵6段、下巻は詞7段・絵6段で、絵画・漢文かな交じり体の文により構成されています。紙高(巻物の上下の長さ)はどちらも35センチメートル、長さはそれぞれ約9メートルです。
上巻は、光を放つクスノキで作られた日本最古の釈迦・観音像の由来と、仏像2躯が当寺にまつられるまでの由緒が説かれ、下巻は、沈水香の流木で作られた十一面観音像と聖徳太子像の事、比蘇寺や現光寺の寺号、栗天八一(りってんはちいち)の山号の由来、伽藍の様子、天皇の行幸などが語られています。
この絵巻の制作年代は、比蘇寺(現光寺)が世尊寺として復興される直前の17世紀後半ごろと推定されます。また、絵の作者は、同時代の絵巻資料との比較から、京都狩野派の絵師と推定されます。
現光寺縁起絵巻は、17世紀代に高まった名刹復興の気運の中で、当時を代表する名筆家と絵師の手によって、制作されたと考えられます。また、文学・芸術作品としても、制作当時の吉野の風景、生活、人々の様子を知る手がかりとしても貴重なものです。

アクセス

大淀町比曽。近鉄六田駅、大和上市駅からのタクシーが便利です。


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