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大淀桜ヶ丘遺跡

[2019年5月14日]

大淀町桧垣本・下渕。近鉄下市口駅下車。大淀町立大淀桜ヶ丘小学校のプール付近が、縄文時代前期の竪穴住居がみつかった場所です。解説板等は立っていませんのでご注意ください(昭和31年の調査でみつかった出土品は現在、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で常設展示されています)。

大淀桜ヶ丘遺跡は、吉野川北岸に形成された洪積段丘の南端に位置する、縄文時代前期(約5000-6000年前)を中心とした遺跡です。現在は奈良県立大淀高校、大淀町立大淀桜ヶ丘小学校がその上に建っています。
昭和の初期には下渕遺跡の名でも呼ばれ、森本六爾(1903-1936)や樋口清之(1909-1997)といった、奈良県を代表する考古学者により、土器や石器の採集ができる遺跡として紹介されていました。
昭和31年(1956年)、小学校のグラウンド拡充にともなう発掘調査で、縄文時代前期の竪穴住居と石器製作跡とみられる石組み溝がみつかり、調査地付近の地名をとって大淀桜ヶ丘遺跡と呼ばれるようになりました。その後、平成13年(2001年)には小学校体育館の建設、平成17年(2005年)には小学校校舎改築にともない調査が行われ、平成17年度(2005年)の調査では、17世紀・18世紀の生活面と埋納された銭貨などがみつかり、縄文時代以後の当地の歴史を垣間見ることができました。また、平成19年(2007年)には、縄文時代の落ち込みと石鏃、昭和初期に遡る旧校舎のレンガ基礎などがみつかりました。
当丘陵地はかつて「天王山」「テンノモト」と呼ばれ、丘陵を下った南側の岩壁沿いには、応永2年(1415年)創建とされ、後醍醐天皇をまつる森神社の小さな祠があります。(現在は付近に移設))

大淀第二小学校煉瓦基礎(東から)の写真

大淀第二小学校煉瓦基礎(東から)

17世紀・18世紀の生活面(北から)の写真

17世紀・18世紀の生活面(北から)

銭貨が出た柱穴の断面の写真

銭貨が出た柱穴の断面

森神社の写真

森神社(移設前)

アクセス

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