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妙好人清九郎/光蓮寺(清九郎の菩提寺)

[2019年5月15日]

妙好人清九郎

鉾立峰の奥に眠る「妙好人 清九郎」の墓(高取町丹生谷)には、いまだにその徳を慕っておとずれる人々が後を絶ちません。清九郎は延宝6年(1678年)、高市郡矢田村(今の高取町谷田)に生まれ、幼いときは同郡丹生谷村(今の高取町丹生谷)で、12歳の頃からは吉野郡鉾立村(今の大淀町鉾立)で青春の頃をすごしたと伝えます。
そのころの清九郎は、山を下って吉野川を渡り、下市の油屋さんに奉公へ出かけ、夕方鉾立へ行き母の面倒をみて、夜更けに奉公先へ戻り、冷たいご飯を食べる、という生活をくりかえしていました。23歳のとき父を失い、母のことも考えて奉公をやめ、きこりとなったようです。隣村から養子の久六をむかえた後は丹生谷に隠居し、寛延3年(1750年)の旧8月4日、72歳でこの世を去りました。
清九郎については、その人柄をさまざまな逸話が伝えています。その生き方を評して、後の人は彼を「妙好人(特に信心が厚く徳の高い人のこと)」と呼ぶようになりました。

清九郎肖像画

清九郎肖像画

光蓮寺(清九郎の菩提寺)

大淀町鉾立。拝観の際は事前に文化振興課までご連絡ください。また、徒歩10分ほどの場所には清九郎の墓所があります。

菩提寺となった光蓮寺内には、清九郎が高取藩主よりいただいたと伝える色絵磁器の香炉、「法名釈 浄元」「俗名 清九郎…」と銘のある位牌、清九郎の生涯を描いた「清九郎絵伝」などが守り伝えられています。

光蓮寺の写真

光蓮寺

アクセス


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