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坂合黒彦皇子墓

[2019年5月15日]

坂合黒彦皇子墓

大淀町今木。国道309号線北側の山の中腹にみえる石の鳥居が目印です。

『日本書紀』によると、坂合黒彦皇子は、允恭天皇(黒彦皇子の父)の後をついだ安康天皇を殺害した幼い眉輪王(まゆわおう)(安康天皇に殺された大草香皇子の子)をかばって、大泊瀬皇子(黒彦皇子の弟・後の雄略天皇)の怒りを買い、彼に味方した葛城の円大臣(つぶらのおおおみ)や眉輪王とともに殺され、「新漢槻本南丘」に合葬された、とあります。
現在宮内庁の管理する「坂合黒彦皇子墓」は、安政年間(1854-1859)に当町今木字ジヲウの地に比定されたものです。
これに対し『大和国古墳墓取調書』を書いた野淵龍潜は、これに意を反して、江戸時代に書かれた『大和志』の指摘どおり、「天狗森」と呼ばれている今木の南側の丘陵地に候補地を求めています。
この今木の地に伝わる黒彦皇子の御陵の伝承は、古代史の謎とあいまって深い霧につつまれたまま、当地に残されています。

坂合黒彦皇子の墓の写真

坂合黒彦皇子の墓

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