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桧垣本猿楽とは

[2015年3月23日]

貴重な文化財産として後世に伝えたい

猿楽というのは、奈良時代に中国から伝来した「散楽」が発展したもので、猿の字をあてたのは平安時代以降のこととされています。
猿楽は、舞楽や田楽などと共に社寺の神事に取り入れられることが多く、吉野猿楽においても同じでした。彼らが神事に参勤する際には、翁猿楽が本務であり、猿楽能は余興のひとつでした。
翁猿楽は、一座の最長老が翁面をつけて単調な所作をする翁舞ですが、翁舞の演者そのものが神の依代と考えられ、神事における神の出現を演出していました。翁舞は一座の最長老しか勤めることができない特別な芸能だったのです。

鎌倉時代に歌舞劇としての能と台詞劇としての狂言に分かれ、明治時代になって能楽と呼ばれるようになりました。
この猿楽を演じる一座が本町桧垣本の地に存在しました。
その一座は桧垣本猿楽座と呼ばれ、室町時代から江戸時代にかけての約300年間、大和四座(観世座・宝生座・金春座・金剛座)とともに活躍していた吉野猿楽(桧垣本猿楽座・栃原猿楽座・巳野座・延命大夫座・宇治猿楽座)のひとつでした。

室町時代の吉野山では、蔵王堂の境内に鎮座する天満神社(現 威徳天満宮)で営まれた野際会で猿楽が行われていたことが「当山年中行事条々」にしるされています。また、正月18日の上社(現 吉野水分神社)と同二十三日の下社(現勝手神社)の御田でも猿楽が行われていました。

現在、吉野水分神社の御田植神事において翁面を使用する狂言系の御田が伝承されていることともこうした歴史に鑑みれば偶然ではありません。

この時代の「竜吟秘訣」や「笛集」は、桧垣本猿楽の桧垣本彦四郎ないしは彦兵衛の作とされ、代々笛の名手として知られていたようです。室町時代の終わりごろには、一座に次郎大夫国忠と与左衛門国広の父子が活躍し、ともに太鼓の名手だったようです。
また、面打ちの名人として知られた桧垣本七郎は、猿楽を演じる一方で数々の作品を制作し、その名品は現在も保管されています。

日本各地で猿楽の活動を展開していた桧垣本猿楽ですが、本拠地である桧垣本の地を離れることはなく、吉野山天満神社の野際会の楽頭を勤めるほか、慶長3年(1608年)まで高野山山麓の河根丹生神社(現和歌山県伊都郡九度山町)で翁舞を舞っていました。
しかし、江戸幕府による大和四座を中心とする統制政策に対応するため、一族をあげて江戸に赴き、関係が深く縁戚関係にあった観世座の名字を許され座の一員となりました。そして、吉野との関係を完全に断ち切ったのです。
桧垣本猿楽や栃原猿楽が吉野の地を去り、彼らに神事猿楽を勤めさせることができなくなりました。

かわって吉野山の社寺は、手能、いわゆる素人役者に神事能をつとめさせるようになります。この素人役者については、「西国三十三カ所名所図会」に、南都から役者を呼んできて蔵王堂で猿楽が興行されたとしるされているので、南都からの来演を考えることもできます。

一方、吉野川を挟んで吉野山の北に位置する龍門郷では、奈良時代に龍門寺が創建され、平安時代には龍門荘という興福寺領の大荘園が形成されました。
この龍門郷の信仰の一つであった山口 神社では、康正二年(1463年)に延命大夫が、翌年にミノ(巳野)三郎が同社の楽頭を勤めた記録が残っています。

吉野山では、室町時代と江戸時代で演者が変わっていますが、龍門では江戸時代になっても巳野九兵衛が寛文11年(1671年)に宮移能を勤め、室町時代まで同社の神事に巳野座が関係していたものと思われます。

江戸幕府による統制政策に対応するため、江戸に活動の場を移して芸術性を高めていく一方で、一座を生み育てた本町では桧垣本猿楽座は、やがて忘れられた存在となってしまいました。

町では、これを機に平成14年度以降「桧垣本猿楽」を貴重な文化財産として後世に引き継いでいくよう事業を展開していくことになりました。
みなさまのご協力をお願いします。

能面の紹介

若い女

裏面の刻銘により、明応2年桧垣本七郎が制作し、信家という人物が吉野小守御前(吉野水分神社)へ寄進したものであることがわかる。吉野水分神社に寄進された面がどのような経緯で勝手神社に伝わったかは明らかではないが、江戸時代には既に同社の所蔵となっている。

能面「若い女」

・仕様
  21.1×14.1センチ
  桧材彩色
  明応2年(1493)
・所蔵先
  吉野町吉野山/勝手神社(現在は吉水神社)

若い男

裏面の若い女と同じような刻銘があり、明応2年に桧垣本七郎の制作したこの面を、信家という人物が吉野勝手御前(勝手神社)へ寄進した事がわかる。信家についての記録は伝わっていない。

能面「若い男」

・仕様
  21.1×14.1センチ
  桧材彩色
 明応2年(1493)
・所蔵先
  吉野町吉野山/勝手神社(現在は吉水神社)


桧垣本猿楽とはへの別ルート

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