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大岩古墳群/石神古墳

[2019年5月15日]

大岩古墳群

大岩地区の遺跡は、古墳時代の大岩古墳群から18世紀代の墓地まで連綿と続いています。
大岩地区では、昭和60年(1985年)から翌年にかけて、ゴルフ場の造成にともなう発掘調査が、奈良県立橿原考古学研究所によっておこなわれました。
古墳の調査成果としては、6世紀後半頃、盆地の北西端に大岩4号墳という横穴式石室の古墳が築造され、つづいて7世紀に大岩1号墳(石神古墳)と4号墳の近くに5号墳が築造されたことが分かりました。また、古代から室町時代にかけて、埋葬などに古墳の石室を再利用した痕跡もみつかりました。

[奈良県指定 史跡]石神古墳

大淀町大岩。大淀町ふれあいバス「おおよどパークゴルフ場前」下車。北へ徒歩10分。急な斜面を上ったところにあります。

石神古墳は、大岩区の北端、標高約280mの丘陵の頂部に築かれた、直径22.5m、高さ約4.3mの円墳です。花崗岩の自然石を積みあげた全長約10mの横穴式石室が、南にむかって開いています。
石室は、奥の部屋が長さ4.2m、幅・高さは共に2m、手前の通路部分が長さ5.8m、幅1.5m、高さ1.6mをはかります。また、奥の部屋の壁石が2段積み、通路部分の壁石が1・2段積みで、石の表面を平たくそろえてあるところに、近畿の主な横穴式石室の特徴がみいだせます。
発掘調査の結果、吉野川産の緑泥片岩の石棺材や鉄釘などの金属製品、7世紀中頃の装飾付き須恵器(子持器台)がみつかっています。7世紀の装飾付き須恵器は全国的にも珍しく、それ以前の6世紀では、紀ノ川下流域の古墳でよくみられる特徴的なものです。
この古墳の被葬者は、吉野・紀ノ川を通じての交易・交流にかかわり、飛鳥に都をおいた中央政権ともつながりをもちながら、この周辺地域を拠点に、北と南・西への交通路を使って勢力をたくわえた有力者とみることができます。
この古墳は平成24(2012)年3月30日、その重要性が認められ奈良県指定史跡となりました。
現在、大岩の遺跡はゴルフ場へと姿を変え、昔日の面影を知ることは難しくなりましたが、石神古墳と、大日堂脇に移築された大岩3号墳の箱式石棺が、古代の大岩を今に伝えています。

石神古墳の入口の写真

石神古墳の入口

石神古墳の石室内部の写真

石神古墳の石室内部

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アクセス


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